Story6

東北大学 複合生態フィールド教育研究センター

海に生きる精神を継ぐ、復興の灯火としての建築 類設計室 デザイン房 伊勢崎 勇人

復興に先駆けたフロントプロジェクト

東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県女川町の東北大学の復興事業として、当社のプロポーザル提案が当選したのは2012年の春。日本屈指の漁場である女川町の海洋調査や養殖研究を行う研究所と寄宿舎が一体となった複合施設の改築計画でした。当選後すぐにプロジェクトチームを編成し、現地調査に向かいました。現地でプロジェクトメンバーが目の当たりにしたものは、あらゆる構造物が消え、地形だけが取り残された風景でした。

「震災後1年が経過したにも関わらず、現地は瓦礫が取り除かれただけで復興と呼ぶには程遠い状況でした。女川湾は半島に囲まれ波が穏やかなため、普段は空と自然を映し出す美しい海なのです。一方、山際を見渡すと、根こそぎ木々が倒され、こんな高さまで津波が到達したのかと驚愕しました」と、意匠担当の多田は当時を振り返ります。悲しみ、不安、使命感、さまざまな感情を抱えながらプロジェクトはスタートしました。

漁網をモチーフに、被災地に深く想いを馳せたデザイン

プロジェクトが進む中で、多田はある一つのことに違和感を覚えていました。プロポーザル段階では、津波から建物を守るため、海側を耐震壁で固めるデザインとしていました。しかし、自然を脅威の対象として線引きし、コンクリートの壁で固めるというのは、海と共に生きる人の精神にそぐわないように思えたのです。そこで、現地に身を置き、住まいや生産基盤が根こそぎ奪われた被災地の人と話をする中で辿りついたのが、地域の生業・助け合いの精神を示す「漁網」の織り込まれた表情と大自然に寄り添った有機的な楕円形でした。

基本計画の直前でデザインを変更し、ユーザーである研究者に案をぶつけました。「とてもいいと思う。個人的にすごく気に入った」。最大限の評価をもらい、プロジェクトは一つのかたちに収斂しました。
 「最初は暗中模索、霧の中にいるような気分でした。しかし、先入観を持たず、潜在思念でものごとを捉え、周りの意見を頼りにしながらデザインを統合していく過程を踏めたのは、何事にも代え難い成功体験となりました。」(多田)

受け止めるのではなく、受け流す

プロジェクトの最大の課題は、津波に対してどのように建物そして居住者の安全を守るかでした。現地を襲った津波の写真を見たディレクターの田村は、直感的に通常の津波と違うと考えました。女川湾と太平洋の間には防波堤が設置されていましたが、計画地の周囲にはさらにもうひとつ防波堤が設置されていました。田村はこの2重の防波堤が遮断物として働き、流速が落ちることで水位が急上昇したのではないかと予測を立てたのです。現地の証言からも、急速に水面が上昇していたことが確かめられました。

田村は、構造担当と打ち合わせを重ね、厚い耐震壁で津波を受け止める方法ではなく、津波を受け流す方法を選択しました。現地の津波特性を踏まえれば、居住者の安全を守りながらも、経済的にも合理的でデザインにも合致する構造形式が可能であると考えたからです。
 まず、居住エリアは、津波の想定浸水深より上の4、5階に配置し、居住者の安全を確保しました。次に、水面下となる3階以下は、極力津波波力を受け流すことを考えました。最も津波の力を受ける1階はピロティ構造とし、2、3階の研究エリアは可能な限り開口部を設けながら、さらに室内の間仕切壁を乾式化することで、津波が襲った際に壁が外れ津波荷重が最小限となる計画としています。また、漂流物の衝突に対しては、楕円型の建物形状に衝撃を和らげる役割をもたせました。

行政も巻き込んだ復興プロジェクト

プロジェクトの途中、計画地が災害危険区域に指定され、建築制限により居住施設の建設が禁止される可能性があることがわかりました。この重大局面において、類設計室は、東北大学・ユーザーと協力して行政と協議を行い、津波避難ビル(津波が押し寄せた際、高台に逃げるのが難しい場合に緊急的に逃げ込む建物)と同等の構造性能とする事で制限の緩和を実現しました。また、養殖実験に不可欠な海水取水設備は、県の防波堤復旧工事と一体で計画しました。
 「未曾有の大災害、そして道なきところから道を作ることの大変さをかみ締めました。しかし、クライアントである東北大学、ユーザー、そして行政と一体となって取り組んだことが、逆境を乗り越えた最大の成功要因でした」(田村)。

2013年、地震により沈下した計画地を3mかさ上げする土木工事がスタート。急ピッチで工事が進められ、2014年秋、フィールドセンターが竣工。女川復興の灯火がともされました。同センターの再建を皮切りに、東北の復興、そして次代の日本に貢献する教育研究が加速されることを願います。

  • 類設計室 ディレクター 田村 正道 1984年:入社、第7設計室に配属 2001年:ディレクターに配属、現在に至る
  • 類設計室 家具房 多田 奨 1998年:入社、設計室外装房に配属 2010年:監理室に配属 2013年:家具房キャップとして配属、現在に至る