6/5・12実現塾「活力論5『書き言葉の致命的欠陥』」はこんな追求に!

今回の実現塾では、全体会議後に、それを深めるグループ追求を実践!
書き言葉の致命的欠陥を暴き出し「成績を捨てる」を追求する中で、生徒たちの状況や想いがより鮮明になってきました。

■文字が持つ、直接的な欠陥は?
「覚えようとして、暗記脳になる」
しかし、赤ん坊はたくさん覚えるが、暗記脳ではない。その違いは?
赤ん坊は「周りと一体化したい」発。
生徒は、「テストがあるから」「宿題だから」「点をとるため、成績をとるため」。
一体化発であれば、どんな科目でも上達するが、逆に、点をとるためでは、どんな科目も暗記脳にしかならない。

本来、本能(五感)が持つ情報は非常に豊か。
→言葉になることによって1/10に。
しかし話し言葉は、目の前に相手がいて視覚も聴覚も同時に使えるから、1/3の縮小で済む。
しかし、書き言葉=文字は記号。
→豊かだった情報量は、数千分の1に。
一番重要な右脳(本能・共認機能)との繋がりが非常に弱い。
左脳にある文字自体は意味を持たない。意味を与えるのは右脳。
右脳と繋がっていない文字は、仕事でも、全く使い物にならない。

■書き言葉固有の利点とは?
人類史上、文字はいろいろな国家で登場。
支配階級が国民を支配する道具、具体的には徴税の記録のために作られた。 

文字の利点は、
・情報の固定性 ←情報量を数千分の1に絞り込む
・記録性・保存性・伝達性 →時間・空間を超えて伝えられる
・再現性・蓄積性 →塗り重ねられる

しかし、これらは本当に利点なのか??

■文字=書き言葉の最終的な欠陥は?
致命的な問題は、“事実なのかウソなのか分からない”ということ。
話し言葉だったら、相手がいて確かめられるが、文字は目の前に相手がいないから、確かめようがない。
→捏造の塊。
だから、支配階級は庶民を支配するために文字を使う。(古事記、日本書紀etc.。 教科書もウソだらけ。)

文字を使い始めて3000年。庶民にまで広まって100~150年。
結局人類は、進化したのか?退化したのか?

学者・教育界・出版界・マスコミ界のウソは、どんどん酷くなる。
そして、人類は今や、意欲・活力もドン底。追求力、言語能力もドン底。
◎人類は文字を使うようになって、たった100年で無能化=退化した。

産業界の実感は、「左脳偏重=右脳封鎖した大卒は全く使い物にならない」。
しかし、実社会と切り離された教育界は、その無能化の事実に気づかない。(“100点=賢い”など異常空間。)

これほどの大問題を、学会も教育界も出版界もマスコミ界も指摘しないのは、文字が仕事の飯の種だから。
大半が支配階級の手先であり、己の利権のためにウソばかりで、国民はそれに騙されている。
彼らは「事実追求」などしていない。

原爆も原発も、プラスチックも、作るだけ作って誰一人そのあとを考えていない。そんな無責任なものは科学ではない。

■どうする?
本来、観念機能(左脳)は自在に言葉を生み出すためにある。
しかし、頭の中には、親から、学校から、マスコミから与えられた言葉しかなく、ガチガチの固定観念の塊。

文字の利点は、情報を削ぎ落して固定化⇒“全体を構造化”しやすいこと。
⇒左脳に求められているのは、構造認識の構築!
◎本能・共認機能(右脳)を使って自分の頭で考え、古い観念を叩き潰す新しい構造認識を作り出す。

人類無能化(活力▼・追求力▼・言語能力▼)の構造は、
「ペーパーテスト→点数第一→左脳偏重→活力・追求力の源泉である右脳封鎖」。

だから、ただちに点数を捨てよ!

点数・成績と、人間そのものの能力は全く関係ない。
成績第一を捨てない限り、奴隷にしかならない。
目先の100点を目指すのか、社会に出てからの将来の勝利を目指すのか?

点数信仰・成績信仰でやっている限り、子供は潰れるばかり。
右脳を封鎖した左脳偏重、自分の評価第一の人間が生きていける場所などもはやどこにもない。
これは現在、40代、50代、大人自身の問題でもある。

成績を捨てて、求めるのは、活力=右脳。

勝ち筋は全て右脳にある。どの企業でも産業でも、求められているのは右脳。
⇒外遊び・仲間との追求で右脳開発⇒10代半ばから仕事へ
★実現体は類学舎生!企業からの評価は「これだけの意欲と解放度と追求力があれば、どこの会社でも欲しがる」。

「話し言葉<<<書き言葉」は、致命的なボタンのかけ違いである。
成績第一・左脳偏重では、子供は救われないし、人類は滅亡する。
闘い、そして右脳を解放せよ!