7/3・10実現塾「活力論7『左脳偏重→右脳封鎖の構造』」はこんな追求に!
■左脳偏重→右脳封鎖の構造はどうなっている?
封鎖が始まっているのは既に親世代:50・60代から。
団塊の世代以降、性をはじめあらゆる活力が衰弱しているが、その直接的な原因は「学歴信仰」(大学進学率が急速に上昇)。
しかし、現在は「学歴第一」ではもはやない。しかし、人間力・追求力、ましてや右脳解放とは誰も言わない。
単に学歴を優先したということではなく、右脳の役割や本質に向かうのを、観念で否定しているからでは?
封鎖してくるのは、親や学校から与えられる観念=言葉。
「遊んでないで、勉強しなさい」
「遊んでばかりではバカになる」
「勉強しないとバカになる」…
「おかしい」と感じているなら、反発・抵抗が出てきているはずだが、それさえも出てこない=自身がとことん封鎖させられている。
■なんでこんな簡単に封鎖されるの?
人類は、言語機能を獲得して少なくとも600万年という年月で進化したが、それが、左脳偏重の学校教育がはじまって、たった100年で追求力も言語能力もどん底にまで劣化している。そんなにも簡単に生き物にとって生命の右脳:本能・共認機能を封鎖できるのはなんで?
人類の意識は、本能⇒共認機能⇒観念機能。だから、すべての意識は最先端の観念機能に先端収束=観念に支配されてしまう。そして、話し言葉に比べて、「書き言葉」の固定度が非常に強いから。
しかしそれだけではない。
人類は観念で生きているゆえに、観念の内容が正しければ進化するし、間違ったら絶滅する。
だから観念を扱うには相当慎重になる必要があり、支配するための道具として観念を使ってはならないという人類の規範があったはず。
ところが私権時代は、お上が国民を、先生が生徒が、親が子供を支配するという「支配社会」。支配階級にとっては、言いなりになる方が都合がいい。
だから親は子供を、先生は生徒を、お上は国民を支配するのに都合のいい観念を植え付ける。
観念機能は最強であるからこそ、支配層に恰好の武器が与えられている状態。
支配は右脳の「一体化」と真逆だから、反発心を生まないよう、その右脳を否定し封鎖する観念で順応させられている。
しかし、観念に先端収束するという構造は変わらない。
そうであるなら、その観念の中身を変えるしかない。
■何が必要か?どうしたら変えられるのか?
・「勉強しないとバカになる」「遊んでたらバカになる」これは事実?
十分遊んできた江戸時代までの日本人は有能で、学校教育により勉強に大量の時間を費やしてから、現代人はとことん無能になった。それが事実。
社会で活躍している人は、子供の頃から遊んできた人。
・右脳にしか勝ち筋はないという現実を得心する
『ある事業所の、売上を上げるための企画を、考えてみよ』
この実現にどんな力が必要か、考えてみたらよい。
今までと同じではダメ。必要なのは発想力・企画力・構想力⇒これらはすべて右脳からしか出てこない。
左脳にある既存の知識で何とかしよう、など通用しない。
「基本的な学力が必要だ」=それがあればそれなりの仕事ができるというが、それは果たして、本当か?
言われたことを掴む、それも一体化=右脳の力。つまり、仕事のすべては、右脳発でしか成立しない。
右脳封鎖をしている人間は、周りの活力を下げるのみ。トラブルメーカー・足手纏い。
=左脳偏重では生きていけない
⇒右脳解放しか突破口はない
右脳を否定されてきたのであれば、今度は、左脳偏重を否定するだけの根拠を自分自身が追求し、その根拠を固めよ!
否定できて初めて、右脳の解放に向かえる。
■脱支配の可能性
人類は、600万年もの間、共同体「みんな第一」で、一体充足をエネルギーにして生きてきた。
それが5000年前、国家による権力支配社会となり、「自分第一」へ。
武力支配→法律支配→宗教支配→近代観念と、共認支配を重ね、頭脳支配と体制の二重構造で、ほぼ全員まんまと支配されてきた。
しかし、騙しは通用しなくなっている。これだけ支配を強めないと立ち行かない=限界に来ている。
例えばコロナワクチン。おかしさを訴える人は事実を提示し、一体化できる根拠を提示する。
政府は「権威のある学者が言っている」と、中身に触れない。お上の言うことは何もかも、すべて一体化に反しており、人々は惹きつけられない。
もうこの支配構造はもたないだろう。
自分たちでどうする?を追求し始めたら、本当に医者・政府が言っていることは正しいのか?の追求が始まる。
その追求をしない限りは、お上や学校に与えられる支配観念に縋るしかない。
国と自分、客と自分、はたまた先輩と自分、どの構造の中でも、被支配者として言うなりになるしかない。
■羅針盤は「自然の摂理」「生命原理」
日本人は集団主義。みんなとの一体充足がエネルギー。西欧人は自我・個人主義。
私権時代5000年を通じて、どちらが正しいかの答えはまだ出ていないが、ただ言えることは、個人の権利の拡大という方向は、人類を全然幸せにせず、社会をますます殺風景なものにしてきた。おまけに、個人の権利は肥大化するばかりで、国家という集団を崩壊。縄文集団なら、歯止め機能が働くはずである。
しかしここ100年、「西欧個人主義」対「縄文体質」という軸上での議論では、実りある答えには達していない。
注目すべきは「遊び」。“子供は遊び”は、西欧でも誰も反対しない。誰もがその重要性を認める。
そこにむしろ、人類全体としてみた場合の、実現の方向があるのではないか?
環境問題にしても、西欧も“自然との調和”しかないということに気がついてきている。
いずれも一種の事実・構造認識。自然の摂理、生命の原理の枠内にある。
縄文人であれ西欧人であれ、自然の摂理、生命の原理を捉え、それに沿った方向で進んでいけば、そうにしかならないということ。
「左脳偏重から右脳重視へ」も同様。西欧も含め、人類全体が、そっちに戻るしかないという話である。
羅針盤は「一体化」であり、「自然の摂理」「生命原理」。
■活力源を一体充足へ!
人類は常に、極限の絶望的な状態でも、一体充足のエネルギーで突破してきた。
一体充足は、人類の切り札で、最大の活力源である。
この一体充足を、どうしたらもっとあげられる?
その「もっと」にこそ、一体化の答えがあり、どうあげられるか?に、想像力・追求力の源泉がある。
仲間との一体化、万物との一体化は、一度掴んでも、不変ではない。
だから、“もっと”充足できる地平はないか、“もっと”相手を元気にできる何かないか、“もっと”目の前の相手と一体化できる構造を掴めないか。
この「もっと」が活力を持続させ、一緒にいて活力のあがる人となる。
だから、勉強などにかまってる暇はない!
そもそも現代人は、人間力・追求力マイナススタートであり、それはテスト0点より嘆かわしい。
今や、「成績捨てられるか捨てられないか」、ではなく、「いつ捨てるか?」という段階である。
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これからは右脳の時代。貧困が消滅し、物的生産⇒類的生産へ。
類的生産って?その答えは、右脳でしか生み出せない。
左脳偏重を否定する根拠、右脳の時代だという根拠を固めよ。
君たちは学校教育で右脳をとことん封鎖してきた。右脳を封鎖したままでは生きていけない。ここを思い当れるかどうかにかかっている。