9/4・11実現塾「活力論8『家庭による右脳封鎖』」はこんな追求に!

7月までの追求では、「ペーパーテスト→成績第一→左脳偏重→右脳封鎖」の構造が明らかに!
でも右脳封鎖の原因は、学校だけ?!さらに根本の集団にあるのでは?!
子供たちから出てくる、“家庭のやばい現象”を皮切りにはじまった今回の追求、その中で、まさに“すべての”家庭が陥っている普遍的な「右脳封鎖」の構造が発見されました!

■家庭のやばいと感じる事象は?

-セックスレス/離婚△未婚△/会話ない/活力ない/親和欠損児童△
-家庭内暴力…この20年で17倍!
-殺人事件のうち親族間が過半を超える、配偶者間△
-習い事・スケジュール詰め込み
-遊びに行く「何時まで?誰と?どこへ?」
-友達付き合い・学校への口出し・制限
-GPS・LINE監視or勝手に返信、子供部屋に監視カメラ…

子供たちからは、家庭の機能不全の現象をはじめ、「過干渉・過保護」の事例がたくさん!
でも「やばい」がピンとこない生徒も…→管理・監視がもはや当たり前で判断つかないのがやばい。

当たり前になっているけど“これは?”という現象は?
-授業参観△(頻度△、常時のオンライン参観まで登場)
-学校行事△(ex. 東大の入学式、生徒3000人に対して、親が3000人以上)
-何でも、いつまでも、送り迎え
-進路は親の許可制みたいになっている …

★ほぼストーカー?不安型、充足型、どんな母でも多かれ少なかれそうなっている。
原因は、本当に“子育て不安”なの??


■異様なつきまとい、支配強まったのはどこから?
顕著に強まっているのは、2010年頃から。ここ10年。
・危険情報が増えているから?-昔から犯罪も殺人も誘拐もあったし、実際、数は減っている。
・核家族→子育て不安があるから?-核家族は戦前からもあったし、’60・70年代~拡大。時期がリンクしない。
本当に不安・心配なんだったら、一人立ちの方向へ、子供を手放す方向へ行くはず。
★自分がいないとダメな状況にするのはなんで?

特徴は「長期化」。大学生になっても、20才になっても、社会人になってもかかわろうとする。
100点の残り10点をせめ、一人では何もできないように思わせる。
いざ巣立とうとすると情に訴えて引き留める。

核家族だろうが大家族だろうが、現代は支配・干渉。昔はしていなかった。
そこにある構造は??


そもそも本来の子育てとは
哺乳類は12才頃で集団に放り出され、未開部族も12才で一人前、昔の元服は14才。
☆子育てとは、離れていく準備である。


■家族をとりまく状況はどう変化してきた?
昔は家業があり、生産と生殖を包摂する場だった。
戦後、どの家庭も「豊かになりたい」という“私権の獲得”で貫通されていた。
’50 農村→都市へ、サラリーマン家庭に
  「私権の獲得」という共通課題
’55 高度経済成長
  私権圧力の発散・逃避先としての性・遊び△
’70 貧困消滅→私権獲得の共通課題を喪失
  →私権獲得の目的であった豊かな生活:遊び・レジャー△(その後20年間残る)
’80 バブル
  娯楽・遊びに意識が収束 ex.大学は「レジャーランド」
  →マイホーム・マイカー・ホームビデオ
   海外旅行・誕生日/クリスマスパーティー…
’90 バブル崩壊
  大企業・金融系の倒産
  私権の価値そのものが崩壊→性▼遊び▼
’00 家庭の収束軸が全面崩壊

意識は豊かさの実現に向かい、家庭に生産もあった時代、家庭は全うに機能した。
生産がなくなったあと、意識は「私権の獲得」で統合された。
豊かさを実現したあと、その私権獲得の根底にあった(残された)目的:「遊び」(≒贅沢・消費)に収束した。

「遊び」でしか集団は繋ぎ止められない。家庭も、友達関係も、会社も国家も…

現在の40・50代、大学は「レジャーランド」で、授業なんて出ないで遊びまくったが、
子への干渉を強めている現在の30代は、打って変わり、大学はほぼ出席。つまり、遊びの引力▼

遊びの引力もなくれば、あらゆる既成の人間関係(男女も親子も社会も国家も)がすべて無意味化・無価値化。
全員が「集団崩壊の危機」を感じていた。

集団の統合軸がなくなれば、解体しかない。
集団崩壊不安は生存不安に直結する。
→家にしがみつく
→唯一の課題が子育てに!

実際、父母の会話はもっぱら子供のこと(とりわけ勉強)。
自立する年齢になっても、子育て期間を引き延ばし、いつまでも子供を子供として置いておくことで家庭を繋ぎとめようとする。

この集団崩壊の不安は、社会構造上からくる不安・危機感だからこそ、すべての母がそうなってしまうということ。
しかしもはや父親も、「子育て参加」しているように例外ではない。

☆人間関係希薄化→濃厚な人間関係を活力源としてきた日本人の活力衰弱に直結
☆まともな子育てできない
→これでは人類滅亡しかない。


どうする?
まずは子供自身、自らの親子関係を顧みること。やばいことを自覚すること。

可能性は集団の再生!可能性は、生命原理にある。
私権の集団は崩壊しているのだから、少なくとも私権時代以前にまで遡った解明が必要!

☆この危機こそ、最大の可能性!
これまで、“核家族だから”“子育て不安だから”では、個々のタイプにもよる…と追求が始まらなかった。
しかし、今や例外はなく、“すべての”家族が、タイプの違いを超えて、崩壊の危機にある。
小手先の手法やタイプの違いを超えて、共に子育てを追求できる地平が見つかったということ!