12/4・11実現塾「サル社会の構造③」はこんな追求に!
①「前回、前々回のまとめ」の資料を読んで、疑問点・追求ポイントを出す。
●原猿が陥った無限苦行とは?
・縄張りが重合しているため、「逃げ場」がない。どこにいても誰かの縄張りを侵犯している。
・恒常的な食の縄張り闘争。ボスから掠め取るだけでなく、弱オス同士も奪い合う。(永遠闘わなくてはいけない)
・ボスになったとしても、永遠に闘いは続く。
・この同類と闘い続ける状況は本能には全く存在しない。
☆常に苦しい状況が“ずっと”続く。“自分も”この「無限苦行」の状況を作り出している。
☆生きている世界がずっと苦しい。→食欲を満たすことよりも、厭戦感が上回っている。
●どうやって状況の同一視が出来るようになったのか?
警戒心からのサル世界全体に対する注視=同類把握を行うようになった。
・自分のことを襲ってこない(安堵)
・“弱オスが襲ってこない”状況が続く
・目の前の餌も取りに行かない=“戦意がない”
・目が合ったのに闘わなくてもいい
以上のことが掴めるようになった。
相手も苦しくて、戦意もなく、活力ドン底の状態が自分と同じかもしれない!と気づいた。(=状況の同一視)
☆この状況の同一視が、安堵・今までの無限苦行(同類と闘い続けなければならない)状態から逃れられるかもしれない!と可能性を見つけた。
(“自分も”無限苦行を作り出している主体だからこそ、この状況も変えられると思ったのかもしれない)
安堵を感じて、初めて“今まで苦しんでいたこと”を自覚すると同時に、“無限苦行から脱したい!”“もっと安心したい!”という欠乏が生起した!
●欠乏の同一視にまでいけたのはなんで?
◎欠乏が生起したら警戒心発の注視から、不全を解消したい“期待発、欠乏発”で注視するようになる!
・警戒心発の注視:どうする?=“自分の動き”を考えている。
・期待発の注視:目を見るようになる。相手のことを掴みたい!と“相手”のことを考えている。→☆注視の度合いが違う。
☆今までは向かってくる外圧をいかに早く察知できるかだったのが、期待発の注視は、可能性を求めて自分から対象を掴もうとする。=未知探索
原猿が迫られたのは、欠乏も未明、答えも未明。この状況で形成された探索回路は「手探り回路」と呼ぶべきもの。
☆「仮説」と「追求」を繰り返す中で、手探り回路は何世代もかけて徐々に張り巡らされていく。
相当太くなってから、次第に「自分の欠乏」と「相手の欠乏」を同一視できる地平(無限苦行を脱する)を見つけることができた。
毎回同一視できる地平が見つかるわけではない。しかし同一視できる地平を見つけるために、何度も手探りで探索を続けた。
☆「手探り回路」は欠乏がある限り探索が続き、太くなり続ける。欠乏が掴めなくても、探索は行うため太くなる。→知能進化
だから弱オス同士が互いに欠乏を同一視できた。
☆この動力源になるのは“充足期待”。
②弱オス間で形成された共感機能(同一視)→期待応合回路は弱オスの一部がいずれボスとなり、その子どもたちにも受け継がれる。共感機能の獲得によってオスメス関係はどう変化したか?
共感回路が遺伝した結果、オスメス関係は取引的な関係から“期待応合関係”へと変化する。
同一視回路によって“充足度の共有”が可能になり、より高い充足を求めて探索をするようになった。
☆期待も役割も待っていても来ない。相手から期待が出ていない段階から自ら掴みに行く!(探索回路が作動)
メスはオスに守ってもらうためにひたすら探索、行動。メスの期待でオスの役割が決まる。
☆この時羅針盤になるのは「充足度」。“相手がどれだけ充足したか”。
より充足度の高いものを探索し、実践するから充足度も上がり、充足能力もつく。そして充足が一番深まったところに収斂していく。そうして自ずとオスメスで役割も固定されていく。
☆現代で“評価”というと個人に対する評価ばかり。一番大切なのは“お互いの充足度がどれだけ上がったか”。評価共認というよりも「充足度共認」が最適。
☆「状況の同一視→欠乏の同一視回路→期待応合回路→充足度の共有」が共認回路の形成の原点。
●オスとメスは置かれた状況も欠乏も違う。この状況でオスとメスはどうやって同一視した?
オスとメスの欠乏は互いに“充足すること”。これを同一視(共有)出来たとき、“もっと充足するには?”と探索が深まる。
期待・応合回路があるから、相手の期待に応えたくなる。期待に応えた充足することもわかっている。
原猿時代に手探りでも探索し続けたから、みんなの充足度を羅針盤にして、状況も欠乏も期待も掴めるようになって、相手と充足できる地平まで探すようになった。
☆同一視できる地平まで探索したから同一視が出来るようになった。
③弱オス間で共感機能と期待応合回路が形成されたが、それを受けてどのようにしてオスの集団化が可能になったか?
◎大前提として、弱オスは「常にどこかのボスの縄張りに常にいる」という状況。
〇弱オス結束説
弱オス同士の親和関係は不全解消時だけ。弱オス同士は不全解消のためにスキンシップをしていたとしても、もともとは餌を奪い合う敵。
これだけでは闘争には向かえないし、連携行動も取れない(そもそも連携行動を取ったことがない)。
弱オスが仮に徒党を組んで、ボスを倒したとしても弱オスの中でのまとめ役、リーダーが必要だが、この状況をまとめられる弱オスはいない。
(まとめられていたら既に縄張りオスになれているはず)
メスは集団を組む際はスキンシップを通して、性闘争を上回る親和関係を形成したが、オスまで性闘争を弱めるのは淘汰適応の観点から種として危険。
→弱オス同士の集団化はできないだろう。
〇ボスの縄張りに入れてもらう説
◎集団化の前にボスが縄張りに入ってきた弱オスを追い出すか、黙認するか。
メスと同様に弱オスも“どうしたらボスの縄張りにおいてくれるか(追い出されないか)”を考える。
ボスの不全は縄張りを侵犯され続けること。弱オスは縄張り防衛で加勢するようになり、“戦力度”の高い弱オスだけが集団に残れるようになった。
●戦力度は何で図っている?(基本は縄張りは1人で守れるもの。)
☆大前提として外圧を察知できるか。そして連携行動ができるか、一体化ができるかどうか。
肉体的な強さは二の次。むしろ力が強いと縄張りを奪われる可能性もある。
だが性闘争を弱めることも種として危険。だから集団の中で序列闘争が行われるようになった。
この段階では弱オスはまだメスに近づけない。
オス同士は闘争共認、ボスとメスは親和共認で集団化できた。
つまりオス集団、ボスメス集団の二重構造になっている。
☆オスとメスはまだ別世界で生きている。