7/9・7/16 実現塾 「『デルス・ウザーラ』から学ぶ 」はこんな追求に!

今回は、黒澤明監督の映画「デルス・ウザーラ」をもとに追求していきました!

<作品紹介>
本日鑑賞する映画は、登場人物であるアレクセーエフ(軍人大尉・探検家)の手記をもとにした実話です。
舞台は1902年・1906年(明治末期)、約100年前のロシア沿海州(樺太の西当り)。
デルスはゴリド人(狩猟少数民族)で、近代化が始まった当時でも、まだなお色濃く原始の習俗を残しています。

デルスのその有り様から、同類や万物と一体化するとはどういうことか、彼(原始人類)にとって精霊とはどういう存在か等を感じとってみましょう。

■『デルス・ウザーラ』を見ての感想(すごいところ)・追求ポイントをだす。

・すべてを人として見ている。(ex.太陽一番偉い人、月は二番目に偉い人)
・トラ=危ないではなくて、何か理由があるからトラが来たのだとトラに対しても話しかけているのがすごい。
・デルスは一人で生きている。いわゆる同類欠損状態にもかかわらず、主体が凍結していない
・同化力も凄いし、デルスが歌を歌った時に動物から声が返ってきていたのも凄い。
・隊長は軍人だから鍛えられているにも関わらず、デルスの方が生きていくための判断とその速さ、力も強い。道に迷った後、嵐が来たシーンでは隊長は倒れこんでしまったけれど、デルスはあきらめずに働いていた。
・測量器具を始めて見たにも関わらず、組み立てることができていた。
・足跡を見て、「人」が通っただけでなく「中国人」が通ったということ、それも2.3日前のものだと分かっていた。
・座っていた中国人と会話していないのに、何を考えているかが分かっていた。
・河に流された時にどの木を切るのが一番いいか分かっていた。(むしろ見えていた)
 

①そのデルスの凄まじい観察眼や洞察力、決してあきらめない精神などは何によってもたらされたものか?
全てを人として見ており、仲間(同類)であり活力源になっているからではないか。
→では、デルスがみている「すべて人と同じ世界」とはどのようなものか?

■デルスにとって「偉い人」とはどういうことか?「悪い人」と「怖い人」の違いは何か

<偉い人>ex) 太陽や月
・太陽がなくなったら、すべての生物が生きていけない。
・月は潮の満ち引き、女性の月経、生物の産卵、植物の育成など。生態のリズムは月の動きと同期している。
宇宙や生物全体を包含して秩序を司るもの。秩序の核となるもの。

<怖い人>ex) 火・風・水は怒ると怖い
→抗うことができない。上記に比べて個々が強い。

★万物(=人)の中にも偉い人・強い人があるのは、その対象の本質(=全体の中での位置づけ)を捉えており、力の強さによる序列ではなく包含(役割)の広さで秩序化しているから。

<悪い人>
ex)バチバチと音を鳴らす焚火/余っている肉を火に入れた人/朝鮮人参の目印を取ったロシア人/(映像には映ってないが)ロシア人に銃弾がほしいと言った自分(デルス)

焚火に対しては、「うるさい」と言い、木を減らしていた。余っている肉は残して置いたら後から来た誰か(タヌキでも狐でも)食べることができると言って怒っていた。朝鮮人参は、探している人の仕事が余計に増えると怒っていた。探し回るということは、余計に山を荒らすこと→悪い
★余分にエネルギーを浪費することに対して悪いと言っているのではないか。

★そのように捉えられるのも、全て繋がりの中で生きており、「食べる・食べられる」もお互い様という関係。=調和の世界で支え合って生きているという世界観があるからではないか?
ex)食べ物をもらった時にデルスは「ありがとう」と言っていなかった。(必要なものを分け与えるのは当たり前という思考が読み取れる。)
相手は自分の一部で在り、すべてを自分として見ている。自分を自然の一部として見ている。
河に流されるシーンでは、どの木を切れば一番いいかを瞬時に判断していた。
そこでも自然全体の摂理を掴んでいるからこそ、自分にとって良いではなく、森全体にとっての“最適”を瞬時に見つけることができたのではないか。

★つまり、自然と期応関係にあり、自然(万物)と対話している。デルスが働きかけているだけではなく、万物から受け取っているということ。
万物との一体化があって、全体を掴むことができ、本質を抽出することができる。その対象の広さ(包含思考)が判断力と照準力になる。

デルスは一人(≒同類欠損状態)にもかかわらず、主体が凍結していないのも“万物”と一体化しており、共認充足を得ることができているから。
会話をしていないにも関わらず、中国人の考えていることが分かるシーンがあるが、それも自然だけではなく人から発せられるエネルギーも受け取っている(受容している)からではないか?(心の声が聞こえている。)


②トラを撃ったあと、デルスが(気力も視力も)急速に衰弱していったのはなぜか?
■ゴリド人が崇拝している森の精霊の象徴(カニガの使い)は何故トラなのか?
・ただ、強いから崇めたてられている訳ではない。例えば、アイヌでは「クマ」エジプトでは「フンコロガシ」が精霊として信仰されている。強いから、崇めたてられるのは守護神信仰(自分の都合)の発想である。
生態系が崩れる時は、生態系(食物連鎖)の頂点にいる動物が崩れる時。生態系の頂点にいるトラが減ると草食動物が増え、過剰に草木を食い荒らすため森が破壊される。トラは、森の循環の中の秩序を作っている。 それをデルスは掴んでいる。森の生態系のエネルギーから抽出した本質の要がトラであるということ。

精霊は抽象的なものではない。徹底した現実直視によって全体を掴んで(包含して)受容したうえで、生態系のエネルギーを理解して措定している。生態系の頂点にトラがおり、脅威の対象であることも踏まえて措定しているし、太陽もエネルギー全体の中の秩序を作っているというのも分かっている。つまり、始原人類の精霊の措定は、科学思考(認識)なのである。

■気力も視力も(心身ともに)急速に衰弱していったのはなぜか?

・森の秩序の要であるトラを殺す=精霊を殺すということ
「万物(世界)と自分が一体だ」という意識の中で、万物(世界)の秩序を壊すということは、同時に自分(=主体)の要を壊してしまったということ。
※罪悪感(罪を犯した自分、被害にあった相手という対象が分かれているわけ)ではない

本能・共認を再統合しているのが精霊であり、精霊が全ての意識統合の最先端の位置にある。
観念(意識)が壊れたことによって、観念で再統合されていた「本能も共認も」含めて、すべてがうまく機能しなくなった。逆に言えば、精霊があることで本能も共認も真っ当に作動していた。
凄まじい洞察力や、観察眼も本能・共認の力そのものを精霊がさらに引き上げていったからこそ。

つまり、本来人類にとって精霊や、精霊を構造化して表現した観念(言葉)は成長や能力を規定するほどの力を持っており、活力源である。

デルスで1900年代くらいなので、山の中に居たとはいえど現代人に近い。デルスは、猟師で“鉄砲”を使って獲物を捕り、お金に変えている。市場社会により崩れ始めている。市場の進出度、繋がりを持った世界に対する毒気は凄まじいものがあったということ。それに比べて始原人類の活力(=能力)は想像を絶するものであると予想できる。

改めて、精霊は抽象的なものではない。徹底した現実直視によって全体を掴み具象化したもの=科学認識であり成長や能力を規定する一番の活力源。

現代は逆に活力も衰弱し、観念も衰弱し、言語能力も衰弱している。その突破口である、万物との一体化と観念の再生は、人類にとってかなり大きく重要な課題である。
そういう意味では、「実現塾」も新しい理論を追求し、事実に基づいて正しい精霊を措定(観念の再生)することができる場の一つである。