11/19、11/26~「観念進化の歴史③」~はこんな追求に!

【①資料『三万年前頃の観念進化(前回の要約)』を読んで、更なる気づきポイントや追求ポイントを挙げてください。】
<1.線刻壁画と強調表現>
■線刻壁画に多大なエネルギーを使っていたとはどういう状況か?
線刻壁画はただ絵具で描いている訳ではなく、わざわざ硬い石壁を彫った上に色を重ねるように描いている。
もちろん当時鉄器などはないので石を使って地道に削るしかない。しかも何度も何度も同じところを彫ったりしている。
壁画の大きさや手間から、世代を超えて狩りの時間以外ほとんど全てのエネルギーを使って作られてきたのでは?と考えられる。
■なぜ壁画にこれだけのエネルギーをかけたのか?
壁画を描いたのは狩り等を通して外で動物らと遭遇することが多かった男と思われる。彼らは洞窟の外で感じた動物のエネルギーや力その感動=エネルギーが増幅した状態を再現、共有し、万物や仲間と一体化したかったのではないか。
★この再現と共有は、おそらく壁画に限らず、身振り手振り、踊り、音声、言語など様々な方法で行われていた。つまり壁画ではなく、とにかく再現→共有することにエネルギーを費やしていた。
むしろ最初のつたない壁画ではそれほどエネルギーを再現できていなかっただろう。それでも皆と共有を繰り返す中で、どこにエネルギーを感じて強調したいか等、照準も定まっていった。この追求過程こそが充足だった。
そしてこの再現と共有を日常的に反復することで再現力が上昇し、感じたエネルギーを欠乏に応じて強調・増幅することができるようになった。
★上手く伝えられるから共有するのではなく、共有したいから共有するし、共有しているうちに上手く伝えられるようになるということ。
■「ある一面だけの照準を当てて、他の側面は捨象する」というのは仕事等で必要とされる照準力と同じか?
「照準力」と言っても場面によって、照準の当て方は違ってくる。
例えば本質追求の時には、全面受容して全体を包含した中から本質を掴み、構造化していくが、その場合必要な照準は「本質は何か?」ということ。
それに対して何かを実現しようとする時には、「実現したいこと」と湧き起こる欠乏発で追求するが、そこで必要な照準は「特質の抽出」の照準に近い。
★仕事で勝っていくにはその両方が必要だが、どちらも捉える対象や交信の範囲が狭くなると、照準力も狭くなるし、その分主観も強くなり、広く捉えた分だけ、より普遍的な本質や欠乏を見つけられる。(照準力は有るか無いかではなく、広いか狭いか。)
<2.数的感覚→数的把握の起源>
■先読みや状況把握などの実用(現実の必要性)からは過去も含めた周期を抑える欠乏は生じない。なぜ周期を捉えようとしたのか?
太陽と月はそれぞれの周期で、気候や地震、生命に影響を与えている。それらが同期すると更にエネルギー(影響力)が増幅する。
初期人類はそのような同期によるエネルギーの増幅を次いつ来るか分からないまま、あるいは自然のリズムに任せて待ち続けるのではなく、再現するために周期を捉えようとしたのではないか。
★「エネルギーの再現」という意味では、初期人類が周期を捉えようとした(→数的把握)のも、壁画に施した強調表現(芸術表現)も同じ精神的欠乏や思考だと言える。
■なぜ月の周期や縄文尺など身体的なものを単位に用いたのか?
単位の原点はリズムや周期=身体感覚。だから、身体感覚の伴わない数は把握できない。また「誰もが同じ物を想像できる」必要がある。
とはいえ、単位や基準とするには、木の枝などの自然物では全く同じ形や長さのものはほとんどなく、人によって思い浮かべるイメージがバラバラになる。だから普遍的な月や、誰もが持ち、かつ大体同じ長さである肘先から手首の長さが単位に用いられた。
■揃うと気持ちが良いという感覚はどこから来ているのか?
揃うと気持ちが良いという感覚には、「リズムや動きが揃う」と気持ちが良いと、「形、大きさ、高さ等が揃う」と気持ちが良いという2種類ある。
★「リズムや動きが揃う」は同期→共振→一体化へ向かう「増幅系」or「一体化欠乏発の充足」がもとになっているのに対し、「形が揃う」などは秩序感や整合感等の「安定系」がもとになっているのではないか。
ただし「形」「長さ」「高さ」を揃えるには、一定のリズムで描く、つくるという感覚がある(ex.「スッスッス」と同じ感覚で線を引く)ことから、同期が根っこにあるのは共通だと予想される。
<3.線刻壁画と数的把握の共通点>
■部分同期が全体調和を踏み外したのはなぜか?
これらは文明史全体を総括しないと見えてこないが、大きな転換点と思われるのは「戦争」と「近代科学」が登場したあたり。
【②算数・数学で用いられるイコール(等しい)はどこから登場したのでしょうか?】
自集団内では、そこにあるものは全て皆のものだし、食料を分け合う時にも、皆同じ量ではなく、体の大きさや体調等も含めて集団全体にとって最適になるように分けていくはず。従ってイコールは発生しない。
ということは他集団との接触が生じるようになってからと考えられる。
それでも「贈与」や「おすそ分け」の場合、根本にあるのは一体化欠乏なので、見返りを求めることなく、自分たちが一番大切なものや、相手の喜びそうなものを感謝の気持ちを乗せて贈る。従ってここでも「イコール」は発生しない。
裏を返せば、「イコール」の前提には「もめごと」や「損得感情」がある。
その起点となったのは集団同士の「交換」ではないか?
イコールは「等しい」という感覚があるが、“同じもの同士”では交換が発生しない。(りんごとりんごは交換しない。)
★イコールを用いるようになったのは、「違うもの同士を同等・等しいとみなす」必要があったから。それに対して、揃うは大きさや形やリズムなどある一面(要素)が同じになっているときに使われる。
つまりイコールは、数的感覚ではなく、取引や契約の感覚。それが数的感覚と接点を持つようになったのは、あらゆる単位と交換できるお金が用いられるようになってから。今の学校などで行われる単位のない計算も、原点はお金の計算であり、単位をつけるとすれば円である。
■交換はいつから生じたのか?
交換を生業とするのは遊牧部族。約8000年前頃から使われ出したと考えられる。
【③計算する必要性は何から生じたのでしょうか?】
■数えると計算の違いは?
数えるはどこまで行っても1つの単位が何個分あるかという考え方。
しかし、そこには肉体感覚で捉えられる範囲に限界がある。
集団が国家レベルに拡大したり、徴税が始まると、肉体感覚の限界を超えた数を捉える必要が生じる。
そこで1と数える括り方(単位)=桁(くり上がり)を作り、より多くの数を肉体感覚で捉えられるようにした。(ex.1を1000回数えて1000→100を10回数えて1000)
(ただし桁を使って数を把握するだけなら「数える」の範疇。)
更に国家ができて管理意識が芽生えると、数字も管理のために使われるようになった。
それでも目の前にあるものの総量を抑えるだけなら数えるだけでよい。
★計算ができたのは、国家が大きくなり「間接管理」の必要が生じたから。
間接管理で徴税拠点が分かれたり、力量差を度外視した「1人」として、労働力を把握することになる。ここで総量を抑えるだけでなく、各拠点(人)のノルマの達成度を確認するために足し算等の計算が必要になったと考えられる。
■間接管理に計算が必要なことは分かったが、間接管理という実用的な理由から計算の仕組みを作り出したのか?あるいは精神的欠乏から計算は生まれたのか?
そもそも「リズムや周期を捉える」のも「数」も揃えたいという精神的欠乏から生まれている。
また桁を見出す時には、日→月→年のような上位単位を設定する感覚を土台にして、「何進法にするのが最適か」という追求をして規則性を掴んでいったと思われる。それ自体も楽しかったのではないか。その結果、数え歌等で、桁を前提とした数字同士の関係(5の位置は10の中心、8は大きい方などの感覚)をリズムで身に付けるようになった。
更にギリシャの数学や江戸時代の和算等のように、万物にある規則性を数字に置き換えるとどうなる?等の数遊び(追求)も盛に行われていただろう。これらの数遊びの時に自然と計算感覚を使っている。
★つまり間接管理で計算を生み出したのではなく、数遊びが計算感覚を培う土台になっている。
■洞窟のイメージを転換する必要があるのではないか?洞窟時代の始原人類をイメージし直すと?
始原人類は、「狭い洞窟に隠れ住み、細々と暮らしていた」「外圧が高く洞窟の外に出られない」と思われていた。
しかし壁画が残るラスコー洞窟は、地下10mに、縦100m、横200m(約6000平米)、高さ5mでかなり大きい。しかも約50mにも渡って、壁面や天井に装飾が施されており、かなり豪華である。(地下要塞に近い?)
つまりこれだけのエネルギーをかけられるだけの余裕があったということは、それほど豊かな生活をしていたのではないか?
しかも、高さ5mのところに絵を施そうとすると足場や盛土が必要になる。足場が組めるなら家を作る土台はできていたと考えられる。加えて、弓矢も火も使えることからこの段階で洞窟の外で住むことは可能だったはず。
残る追求ポイントは「洞窟から自ら出たのか、出ざるを得なかったのか?」
これは次回以降で追求する。