代表メッセージ

人々は何を求め、どこに向かってるのか 代表取締役社長 岡田順三郎

私権の終焉と新しい活力源

 「やりたいことが見つからない」良く聞く言葉です。しかし、なぜ見つからないのでしょうか?
 かつて人々が貧困に喘いでいたころ、貧困からの脱出は切実な欲求であり、「いい生活」を手に入れることが最大の目標でした。しかし、人々が豊かになり、物が溢れる時代になると、「いい生活」はもはや生きる目標ではなくなってしまいました。子供のころ、親に「将来のいい生活を手に入れるために勉強しなさい」といくら言われても、さっぱり勉強意欲が湧いてこなかったのも、それが原因です。
 つまり、「いい生活」に代わる新しい活力源と目標が必要になったのです。そこで若者は、まず仲間に向かいました。今や、仲間との充足が最大の活力源となっています。次に、「役に立ちたい」という想いが生きる目標として浮上してきました。しかし、これらの新しい活力源や目標は、明確に言葉化されたものではなく、あいまいな半顕在意識の地平に存在しており、全てが中途半端でスッキリしない状態にあります。
 それは、その半顕在意識が、学校やマスコミによって植え付けられた自由主義や個人主義などの観念と対立し、意識が混濁してしまうからです。この矛盾・対立の結果、「仲間第一」なのにいじめの様な歪んだ仲間関係しか形成できなかったり、「役に立ちたい」のに、意識が分散してゆくばかりで具体的な像に収束させられないでいます。

何が起こるか分からない。どうする?

 そうしている間に、原発、地震、異常気象、あるいは迫り来る経済破局など、危機感や切迫感に突き動かされて「何が起こるか分からない⇒どうする?」という意識が急浮上してきました。これは、答え欠乏がいよいよ切迫してきたことを示しています。
 この「分からない」とは、答を出せないということですが、それも当然です。地震や異常気象を起こす気象兵器や放射能、精子半減などの肉体破壊、あるいは少子化や活力衰弱などは、何れもこのままでは人類滅亡に直結する問題ですが、世界中に100万人を超える学者や官僚がいるのに、誰一人、答を出すことができないでいます。むしろ、誰も答を出せないことこそが、人類滅亡の真の原因だと言うべきでしょう。
 そして、誰も答を出せないということは、学者や官僚やマスコミが武器(=メシの種)としてきた、自由・平等・博愛や、個人主義、民主主義、権利主義などの近代観念が全く役に立たなくなった=無効になったことを証明しています。現に、子供たちはすでに「勉強(=近代観念)が役に立たない」と見抜いており、3.11以降、勉強に対する肉体的な拒絶反応が急上昇してきています。
 こうして登場してきたのが、「答を出せないのなら、まず行動しよう」という体験主義の潮流です。いろいろな人に会い、いろいろな場に出掛け、体験する中で答を見つけようという訳です。いわゆる優秀生の中からも「大学には行かずに、仕事をする」という選択をする生徒が、次々と現れてきています。答を出すためには、現実を直視することが不可欠であり、その意味では大学(=観念)ではなく職場(=現実)に向かう流れには、大きな可能性を感じます。

思考のベクトルが逆転している架空観念

 潜在意識は新しい可能性に向かおうとしているのに「やりたいことが見つからない」原因は、頭の中に詰め込まれた古い観念にあります。あるいは、人類滅亡に直結するような問題が山積しているのに誰も答を出せない原因も、頭の中を占拠する古い観念にあります。では、古い観念=近代観念は、なぜ答を出せないのでしょうか?
 それは、貧困の時代に作られた観念だからです。貧困の時代、人々は私権(財や地位)を獲得しなければ生きてゆけないという否も応もない絶対的な強制圧力の下で生きていました。この私権の強制圧力は、戦争を生み出し、支配を生み出し、人工的な貧困を生み出しましたが、万人が私権を共認している以上、どれだけ苦しみに満ちた社会であろうと、その社会を現実に変革することは不可能です。この変革不可能視の故に、本来は現実に向かう筈の思考ベクトルが反現実の方向に反転して、非現実の世界に様々な価値観念や規範観念を生み出しましたが、これらの観念は現実を対象化した観念ではなく、非現実の架空観念です。
 近代観念は、この古代宗教の反現実の思考ベクトルをそのまま踏襲しています。ですから、自由・平等・博愛も、個人、民主、権利という概念も、全て架空観念です。非現実の架空観念ですから、こんな物が実現する訳がありません。あるいはまた、現実の問題を直視して答を出せる筈もありません。

近代観念は50年前に見捨てられた

だからまた、類グループには、同化能力(相手の気持ちや状況をより深く掴む力)や充足能力(一体化して充たされる空気や関係を作り出す力)の高い「いい女」が多い。
 いつも感謝を絶やさず何でも充足課題に変えられるのも、みんなの想いを察知して軽々と仕事の枠を超えられるのも、根本の「女」という役割が肯定され、期待され、評価されているからだろう。原始、女性は太陽だった。だから、現代でも余計な観念やプライドに縛られず、本能と心に素直に生きていさえいれば、誰もが「いい女」になれる。それに、今ほど、社会的に「女子力」が期待されている時代はない。
 それは、現代が、人類史500万年間を覆すほどの大転換期であり、(人々が収束先を見失ってしまった)答えのない時代だからだろう。
 答えのない時代では、言葉以前の深い地平、つまり、潜在意識の地平で人々の期待を掴んでゆくしかない。それこそ、同化力や充足力といった女の潜在能力を全面的に解放する女たちが得意とするところなのだ。

近代観念に代わる新しい観念の構築

 今、人類に求められているのは、人類本来の可能性を実現へと導く観念です。それは、現実を直視して得られる事実認識⇒構造認識に他ならず、本来誰にでもできる、当然の認識にすぎません。  しかし、人は普通、観念を使って物を考えます。ところが、頭の中に詰め込まれたその観念は、ほぼ架空観念で占められています。これでは、いくら考えても、新観念を生み出すことはできません。従って、人類の命運は、頭の中を占拠している架空観念を、廃棄できるか否かに掛かっています。言い換えれば、人類を観念支配している大学・学校やマスコミを、どこまで解体できるかに掛かっています。  我々は、近代観念が見捨てられた直後から、50年以上に亘って新理論の構築に取り組んできました。それは、人類の本源性の実現基盤を探して人類史を遡り、サル社会を突き抜けて生物史に至る徹底した事実の追求となり、すでにかなりの構造認識を蓄積することができました。もちろん、我々自身、近代観念から完全に脱却できているとは言えないし、何より事実の体系は無限に塗り重ねられてゆくものであって、完成することはあ りません。

追求力競争の時代。勝ち筋は『事実の体系』

 しかし、現在はあらゆる面で答えが求められる時代であり、蓄積された構造認識群は、類グループの最強の勝ち筋(=制覇力)となっています。とりわけスピードは生物を貫く勝ち筋(制覇力)ですが、実践しながら現実を直視して答えを出すスピードを、構造認識は10倍引き上げてくれます。  類グループでは、この構造認識を武器に、15分で答えを出す15分ミーティングを下から上へと積み重ねてゆきます。そして、全ての情報は社内板(社内ネット)にアップされます。また、各部内で答えを出し切れなかった問題は、全社員が参加する劇場会議で追求されます。  この劇場会議は、株主総会と取締役会を兼ねています。今や、どの企業も社員の活力と追求力の上昇に注力しています。しかし、現業上の会議方式をどれだけ改良したとしても、最終決定権が、社員外の株主総会にある体制をそのままにしておいて、どこまで社員の活力と追求力を上昇させることができるのか?大きな疑問です。  大きな疑問はもう一つあります。仕事は全て、人々の期待に応える事にあります。最近は、「社会貢献」を前面に出す企業も多いようです。しかし、頭の中は古い観念のままです。はたして、自分発(自由主義・個人主義)で、人々の期待に応えられるのでしょうか?自分発からみんな発に転換しない限り、人々の期待に応えることはできません。  自分発からみんな発への転換、それは学生諸君にこそ求められています。そもそも自分発の「やりたいこと」を求める限り、答えは見つけられません。必要なのはみんな発の「やるべきこと」を見つけることなのだから。  おそらく人類の勝ち筋(制覇力)は、事実の体系となるでしょう。その構築こそ、若者に課された使命(やるべきこと)なのです。


代表取締役社長 岡田 淳三郎

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